“虚飾を極限まで削り落とした、生々しい生への執着”
アフガニスタンの荒涼とした渓谷をアメリカ軍の追跡から逃げようとするアラブ人テロリストのムハンマド。
彼は追手をバズーカで米兵を攻撃したが、ヘリコプターからのロケット弾で攻撃され、捕らえられます。そして、その時彼は爆発の影響で聴力を失ってしまいます。
アメリカ兵の尋問が聴こえないためなのか彼は質問に答えず(聞こえないので答えることができない?)、黙秘しているとして拷問を受け、別の収容所へ移送されることになります。
移送の途中、車が道から転落し、ムハンマドは事故に紛れて、雪に覆われた山の中へ逃げ込み、孤独な逃亡が始まります。
移送の車から逃げることができたムハンマドは、捕虜用の服に手錠をはめられ裸足です。彼は衣類や靴を手に入れるため、民間人を殺し、その車を奪って、森に逃げ込みます。
移送中は目隠しをされていたこともあり、ムハンマドは自分がどこにいるかすらわからないまま、ハングリーに生き延びることを求めて、雪山をさまよいます。
そして、軍用犬を連れたアメリカ兵が追跡する中、狩猟用のわなに足を挟まれたり、崖で足を滑らせ川に落ちたりし、傷つきながらもなんとか振り切ります。観ていて冷たいし痛々しいです。
追跡を振り切った彼を待ち構えていたのは、厳しい自然の中での凍えと飢えと深くなる傷でした。物語は逃亡からサバイバルへと変わっていきます。
蟻の巣を崩してアリを食べたり、樹の皮をかじったりしながら飢えをしのぎますが、道端に座って赤ん坊に乳を与えている母親に銃を突きつけ、その母乳を貪るまでするとは驚きです。その後のシーンでのムハンマドは何か人として大事なものを失ってしまったことを悔いているような表情でした。
彼はようやく一件の民家にたどりつき、そこで夫が留守中の聾唖の女性マーガレット(=エマニュエル・セニエ)に助けられ怪我の手当受け、食事を与えてもらいます。人の温かみに触れてハングリーに生き延びることだけを思っていたムハンマドは気が抜けてしまったように思います。マーガレットはムハンマドを馬に乗せて馬を放します。馬の上でムハンマドは血を吐きながらさまよいますが、その後彼がどうなったのかは誰にもわかりません。
ムハンマドは消耗していく中でコーランの響くムスクでの自分や、妻や子どもの幻影を見ます。仮に信仰や家族が彼が生き延びるための原動力になっていたのなら彼は逃亡しながらそこへ向かうのではないかと思います。しかし、この映画で彼はどこに向かうでもないのは不思議です。
冒頭で舞台はアフガニスタン、ムハンマドはアラブ人テロリストと書きましたが、これは映画を観て多分そうだろうなと想像したのであって、本当はどこのどういう人なのかというのは全く映画では触れられていません。またムハンマドを追うのはアメリカ軍と書きましたけど、軍服やヘリコプターなどからそう思うだけで本当にアメリカ軍なのかはっきりわかる描写はないように思います。アメリカ軍とタリバンとの戦いを想像できなくもないですが、あえて政治的背景を言及しないことで、“一人の男が生き延びるために逃げる”物語をより純粋かつ普遍性のあるものにしているのではないかと思います。
それにしてもこんな映画観たこと無いですよ。なんたって主人公のセリフが一切ないのですから。彼の口から発せられるのは、息づかいやうめき声だけです。
セリフがないことで虚飾を極限までそぎ落とし、ムハンマドが傷を負い、飢えや凍えに苛まれる極限の状態、そして孤独をよりリアルに描き出し、観る人をグイグイひきこみます。
表情と体の動きだけで、極限の状況の中生き延びるためにさまようムハンマドを演じたヴィンセント・ギャロの役作りや演技は迫力あります。
2012年1月7日 新潟・市民映画館シネ・ウインドにて鑑賞(1月20日まで上映)
おすすめ度:★★★★☆
すざまじい生への執着
原題:Essential Killing
監督・脚本・製作:イエジー・スコリモフスキ
出演:ヴィンセント・ギャロ、エマニュエル・セニエ
2010年 ポーランド、ノルウェー、アイルランド、 ハンガリー作品
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