ルルドの泉で

“かつて「無原罪のやどり」が姿を表したとされるこの地で奇跡を見た人々は何を思うのだろうか

全身麻痺のため車椅子生活を送っている女性クリスティーヌは、「ルルドの泉」への巡礼ツアーに参加します。

そこには病や孤独を抱えた人々が奇蹟を求め真剣に祈りを捧げる人、献身的に奉仕する人、物珍しさを求めて観光で来る人など様々な人がいます。

クリスティーヌは「なぜ他の人ではなく自分がこんな体になってしまったのかと怒りを感じる」と告解します。

旅も終わりに近づいた頃、クリスティーヌの身体に変化が起こり、彼女は驚くべき回復を見せるのです。

 

【ルルド(ルルドの泉)とは】

この映画について触れる前に、この映画の舞台となった聖地ルルドについてWikipediaなどを参考に少し触れておきたいと思います。

聖地といっても、アニメに登場する場所のモデルになったりしているわけではないですからね。

ルルドはフランス南西部、スペインとの国境に近い小さな町です。聖地と呼ばれる由来は1858年に村の少女が洞窟のそばで薪拾いをしているときに初めて聖母マリアが出現したと言われたことに由来しています。

また聖母はその少女の前に何度か姿を現し、“洞窟の岩の下の方にある泉に行って、顔を洗いその水を飲むように”告げたというのがルルドの泉の始まりです。

この泉は難病を治癒する奇跡をもたらすとされ、世界各地から巡礼者が訪れるようになり、大聖堂や巡礼者が滞在するための施設などが建てられました。

ルルドにはカトリックの医療局があり、本人から申請のあった治癒について調査し、奇跡を認定しています。一時的に回復してもやがて元に戻ったり、再発しなかったにしてもその人に離婚歴があるなど教理に反した行いをしていたりすると認定されないなど奇跡として認められるハードルは高いものになっています。奇跡として認定されたケースは聖地巡礼が始まった19世紀半ばから67件であり、ここ40年ほどは10年に1件ということです。

 

【映画を観て】

聖地巡礼というととても信心深い人だけが集まる厳格な感じもします。聖母マリアが姿を現した近くの洞窟を訪れその岩にキスをしたり、ルルドの泉の水をかけてもらったり、大聖堂で礼拝するなど、巡礼の様子を見たのは初めてでした。

一方で、ボランティアのリーダーが夕食時に翌日の日程を発表したり、◯◯について詳しくはこれから配る冊子を見てくださいなどと説明するなど、ルーチンワーク的にプログラムが組まれていたり、また町には土産物屋などが軒を列ねているところは、一種の観光産業としても根付いているのだなと感じました。

この映画の主役であるクリスティーヌ(=シルヴィ・テスチュー)は、車椅子での生活ではあちこち旅行に行くくらいしか楽しみがなく”前に行ったローマのように芸術に触れる旅行のほうが自分に合っている”などと語ります。

また、クリスティーヌの介護を担当するボランティアのマリア(=レア・セドゥー)はタバコを吸ったり、男を物色したり、時にはお祈りを忘れて他のボランティアに注意されたりもしていわゆる今時の女の子です。

訪れた人々の世話をするマルタ騎士団の人々が夜になると神父と飲みながら、キリストや聖地巡礼をネタにした冗談を言い合ったりもしていて、意外とくだけた雰囲気もあります。

もちろん、事故で歩けなくなって恋人を失った人は歩けるようになり伴侶を見つけたいと願う男性、病気の子どもが治ることを願い子どもを連れて何度もこの地を訪れている母親など、治癒を求めてやってくる人々もたくさんいます。

映画は、クリスティーヌやマリア達の様子を織り交ぜながら巡礼の様子を映していきます。

特に信心深さを感じるのはボランティアのリーダーのセシル(=エリナ・レーヴェンソン)の言動です。時折仕事の手を抜くマリアをたしなめたりと仕事熱心です。彼女はクリスティーヌに“聖母マリアがあなたに立って歩くように告げる夢を見た”と語ります。しかし、ツアーの終盤に彼女は倒れてしまい、その時にかつらが外れ髪が殆ど無い頭が見えてしまいます。彼女こそが身を削ってまで奉仕し、奇跡に近づこうと強い信仰を持っていたのだと感じます。クリスティーヌのことを思うと、セシルのことは不条理な感じがします。

淡々と巡礼の様子を描いている感じの映画ですが、クリスティーヌが歩けるようになると、ツアーの人々の中にさざ波が起こります。

マリアはマルタ騎士団の男性スタッフのクノに好意を抱いていました。クリスティーヌが歩けるようになり、クリスティーヌがクノに好意を向け、クノがそれに応えていることがわかると、マリアはクリスティーヌと関わらなくなります。

病気の子どもを連れて何度もこの地を訪れている母親は、クリスティーヌを嫉妬や恨みに満ちた表情で見つめます。

大して信心深くも無さそうな彼女がなぜ?と言葉をかわす婦人たち、納得がいかず“なぜ神は彼女を選んだのか”と神父に問いただす人もいます。

最終日のパーティーで、クリスティーヌと同じ食事のテーブルについていた車椅子の紳士はワインを一気飲みしたりします。

表面的には奇跡を祝福してはいても心のどこかで、なぜ自分じゃないのか、もっと信心深い人が選ばれるべきじゃないか、きっとまた元に戻るんじゃないかなど、嫉妬や疑い、やりきれなさをどこかで抱いていたと思います。

ラストのお別れパーティーで、クノとクリスティーヌはダンスをしますが、クリスティーヌは途中で転んでしまいます。その時パーティー会場にいた人々は“ああ、やっぱり一時的なものだったのね”とか“ほら、ごらんなさい”という空気感に覆われます。

クリスティーヌを立たせたクノは会場の端に彼女を連れていき、すぐ戻るからと去ってしまいます。そこにクリスティーヌと同室だった老婦人が車椅子を持ってやってきて、クリスティーヌはそれに座ってしまいます。これは、疲れたから休むのか、それともこの回復が一時的なものだったのかは観た人それぞれの想像だと思います。

周りの人々もなぜ彼女が?という気持ちはあったでしょうけど、単なる観光気分で来ていたクリスティーヌ自身も、突然体が動くようになったことに対して何らかの戸惑いもあったかもしれません。

また、体が動くようになったうれしさで彼女は未来に明るい希望を抱きますが、この奇跡を信仰がもたらすものだというのなら、もともと信心深いわけでもなく、ある種気持ちが地につかなくなった彼女は運命に突き放され元に戻ってしまったのかもしれません。

この映画のラストでクリスティーヌのところに車椅子を運んでくる老婦人は、とても謎めいた存在です。

彼女はクリスティーヌの母親というわけでもなさそうです。クリスティーヌとは対照的に枕元にマリア像を置きとても熱心に信仰をしています。

彼女は何のためにこの地へやってきたのか、なぜ介護のボランティがいるのにクリスティーヌの世話をするのか、彼女はクリスティーヌが回復する前も後も変わらない距離感で接していたのかなど、謎が多い人物です。

ジェシカ・ハウスナー監督は、宗教や信仰を題材にしていますが、恣意的に崇高な雰囲気を作っているわけでもないですし、クリスティーヌなどの登場人物に感情移入してしまうような描写もほとんどありません。それだけに巡礼に訪れる人やボランティアの人々のちょっとした言動で多様な人の気持ちを描き出しているように思います。

 

2012年08月26日 新潟・市民映画館シネ・ウインドにて鑑賞(08月31日まで上映)

おすすめ度:★★★★☆
フランスのオランジーナのボトルって日本のと違って丸っこいのね。

原題:Lourdes
監督・脚本:ジェシカ・ハウスナー
出演:シルヴィー・テステュー(クリスティーヌ)、レア・セドゥ(マリア)、ブリュノ・トデスキーニ(クノ)、エリナ・レーヴェンソン(セシル)
2009年 オーストリア・フランス・ドイツ作品

 

 

【リンク】
“ルルドの泉で”公式サイト
ルルドの泉で@ぴあ映画生活
象のロケット

「ルルドの泉で」への2件のフィードバック

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