突然空いた心の穴を埋めていくゆったりとした時間 映画“アノソラノアオ”

突然訪れた身近な人の死をどう受け止めていいのかわからずに苦しむ青年の心を、ふるさと新潟県燕市の人と風景をふんだんに用いて描いています。

【ものがたり】

舞台は新潟県燕市。

映画づくりを学ぶため地元の専門学校に通う陽介(=中山麻聖)は仲間たちと映画“鉄魔人の逆襲”の撮影に取り組んでいます。

大河津分水で撮影中、鉄魔人は信濃川に落ちてしまい、その日の撮影は中断になります。一緒に撮影に取り組む友だちの凪音(なおと)は鉄魔人を探そうとし、川に転落し命を落としてしまいます。

映画作りは中断し、陽介は何をしていいのかわからなくなり、父親(=三田村邦彦)からは学校なんて辞めてしまえと言われ、教師からはヤル気があるのか?と問われてしまいます。

陽介が幼い頃のある大雨の日、母親(=相沢まき)は買い物に出かけたとき川に落ちて亡くなってしまい、父親と姉(=原 幹恵)の3人で暮らしています。

悶々とした陽介に対する父親の苛立ち、母親代わりの姉の優しさに、陽介はどことなく息苦しさを感じてしまいます。

ある日、死んでしまった凪音(なおと)の友人の歩(あゆむ)が東京からやってきて“「鉄馬人の逆襲」を完成させよう”と陽介たちに言います。

その日から陽介の前に鉄魔人の幻影が現れるようになり、それを見た陽介の脳裏には幼い頃の母親と自分の様子が浮かび上がります。

 

【映画を観て】

平成16年7月の新潟・福島豪雨では近年の新潟県内の水害としては多数の死者を出しました。この映画は突然身近な人を失った人々がそれをどう受け止めていくのかが一つのテーマだということです。

映画の冒頭に映し出される“万象ニ天意ヲ覚ル者ハ幸ナリ(このあとに人類ノ為メ、国ノ為メと続きます)”は、越後平野の水害を軽減するため、当時の最新の土木技術を投入し、かつてない大規模な“大河津分水(1931年完成)”の工事を指揮した内務省の土木技師“青山士(あおやま あきら)”が書いたもので、この言葉が刻まれた記念碑は大河津分水ほとりに建てられています。

大河津分水はこの地域の子どもたちは遠足や校外学習で必ず一度は訪れるという場所なんです。

鉄魔人の逆襲の撮影舞台でもある大河津分水の完成以後、私達の暮らしは近代土木技術によって守られてきましたが、平成16年の新潟・福島豪雨の水害はその技術を凌駕するほどの激しい降雨で、信濃川の支川である五十嵐川、刈谷田川、中之島川の各所で堤防の決壊やがけ崩れが発生し、多数の浸水被害を被りました。

そして、この災害では16名が亡くなり、そのうち15名は新潟県内の犠牲者です。

映画の中では陽介の母親もこの水害で命を落としたということです。

母親や友人の死がずっと心にひっかかったまま、映画の勉強に打ち込むことが出来ずに友達とちょっと離れてしまったり、父親とうまく行かなかったりして、どうしたら良いのかわからない、何かを一生懸命にやれる気分にもなれずに悶々とした陽介の気持ちは、彼の表情だけでなく、ところどころで映される空を流れるグレーの雲も彼の気持ちを印象づけています。

鉄魔人の幻影とともに陽介が見る母親の記憶は、友人と母親がともに川に落ちて亡くなったことをうまく表していると感じます。

彼が母親や友達の死をどう受け入れていいのかわからない、またあの時母親や友達を止めたることができたのではないかと単なる事故と割り切ることが出来ず自分を責めていることの苦しみが生み出してる幻影なのかなと思います。

また、陽介は仲間の女の子那枷(ともか)に好意を抱いていたようですが、那枷は事故で亡くなった凪音と仲良くしている様子を見てしまい、すっかり自身を失ってしまうところにも、なんとなく何かに積極的になることの出来ない陽介の気持ちが現れています。

那枷は凪音の死が受け入れられず、鉄魔人を作っては壊すというのを繰り替えすことで、自分の中で彼をつなぎとめているようです。人の死とどう向き合うかということも人によって様々なのでしょうね。

 

小学校中学校と親しくさせていただき、中学校卒業と同時に映画の世界を目指し東京と地元を行き来し始めた頃までのナシモト タオ監督を知っているので、いろんな局面のタオさん自身を登場人物に写し込んでいるのかなと想像してしまいました。(今に至るまでの全てを知っているわけではないので、あくまで想像ですよ)

タオさんにも父親とそりが合わず、また映画を目指しては見たもののなかなかうまく行かず悶々としている陽介のような時期もあったかもしれません。

歩は東京から新潟に戻って、何か新しい風を吹き込もうと意気揚々としているタオさん。

バイト先で「実家の店を継げばいいんだから気楽だよな」と言われたことに憤慨しバイトを突然辞める嵐には、こんな田舎でくすぶっていたくないという気持ちを持っていたタオさん。

家業を手伝うため、再開した映画づくりに加わることを躊躇する茂には、家の事情を思うと好きな事ばかりも出来ないと葛藤するタオさん。

そんなふうに想像してしまいました。

また陽介と周りの大人の関係は自分と自分の子どものことのようにも感じます。

陽介に対して若いうちに何かに夢中になってとことんやってほしいと思う大人たちの気持ちは、自分が子どもに対してどことなく思っていることと同じでした。

何かに夢中になってとことんやれず、それぞれにいろんなものを抱えて悶々としている若者たちの様子から、ああ自分の子どももそんな気持ちを抱いているのかなとも思います。

陽介は映画づくりを再び始めようとしますが、人が集まらなかったり、機材が揃わなかったりでなかなかうまくいきません。そんな様子を見ていた父親が、若い頃に撮影したフィルムやカメラを、「ほら、これ使えや」と押し付けるのではなく、さり気なく置いておくというところに、「やめてしまえ」と苛立ちながらも、子どもを応援しようという優しさを感じますね。

終盤で父親が亡き妻の好物だった菊のおひたしをつくろうと花びらをとっているところに、陽介が帰ってきます。陽介が何やってんの?と訊くと、父親は“母さんが好きだったからな”とつぶやきます。その言葉でなんとなく一緒に花びらをとりはじめ、そして姉も加わり3人で作業をするシーンがあります。

このシーンはカメラは固定で長い時間のワンカットとなっていて、そこがゆるやかに打ち解けていく3人の空気感が心地よく描いています。やっぱり家族はいいものだなと感じるとともに、陽介が息苦しさから救われていくように思えてきます。

突然の身近な人の死を受け入れられず気持ちが淀んでしまう時間は意外と長いのかもしれません。淀んでしまった気持ちが再び流れるようになるのはすごく小さな変化なのかもしれませんし、その変化はとてもゆっくりとしたものなのかと思うのです。

 

また、身近な人の死をどう受け止めるのかということとあわせて、燕の人々の暮らしぶりを描くというのもひとつのテーマであるように感じます。

映画に登場する風景や言葉にも燕の雰囲気を感じますが、食卓の様子はより燕の人々の生活感が現れているように思います。

特に昼食の場面では焼きそばが大皿に盛られて出てきて、それをみんなで取り分けて食べるのですが、おかずに買ってきた惣菜の天ぷらが一緒に出されるところは、燕らしい食卓だと思います。

燕 は洋食器の街として知られていて、家族でやっている町工場もたくさんあります。また、僕の実家は両親は共働きで祖父母が商店をやっていたので、食事の準備 は手間を省くようにすることが多かったのでしょうね。大皿に盛り付けたり、もう一品はお店で買った惣菜ということが多かったですね。

特に子どもの頃、夏休みの昼食は母親が朝作って置いていったおにぎりに、祖母が近所のお店で買ってきた天ぷらやコロッケなどがおかずというのが多かったように思います。

 

この日は新潟・市民映画館シネ・ウインドでの上映初日で、ナシモトタオ監督と出演者の牧田夏姫さんによる舞台挨拶がありました。

そこでは、この映画を観ていろいろに感じてもらいたいということや、人の死を受け入れられるようになるにはとてもゆっくりとした時間も必要だということなど話されていました。

また、出演の皆さんの演技や、映画に登場する食べ物のことなどの裏話も面白おかしく聞かせていただきました。

この映画は燕市をメインに撮影が行われただけでなく、キャストやスタッフも新潟県出身・在住の方々でとことん地元にこだわった作品となっています。タオさんは次回作も地元にこだわった映画にしたいと意欲的で、今後の活躍に期待しています。

 

2012年07月13日 新潟・市民映画館シネ・ウインドにて鑑賞(08月03日まで上映)
おすすめ度:★★★★★
自分の友達がふるさとを舞台に映画を作り、それを好きな劇場で見ることができて、最高に素晴らしい夜でした。上映と舞台挨拶の後タオさんと少しの間話すことが出来ました。この映画がなかったらおよそ30年振りの再会はなかったでしょう。

監督・脚本・編集:ナシモト タオ
出演:中山麻聖、原幹恵、相沢まき、三田村邦彦、三上真史、八神蓮、片岡信和、加藤貴宏、松村利史、永井大、水野久美
支援:はばたけ燕実行委員会
2012年 日本作品

【リンク】

“アノソラノアオ”公式サイト
アノソラノアオ@ぴあ映画生活

「突然空いた心の穴を埋めていくゆったりとした時間 映画“アノソラノアオ”」への3件のフィードバック

  1. 映画監督の方と古くからのお知合いなんて本当にすごいですね!!
    しかも、その監督さんは監督さんで、ドラマがあって監督になられたのですね…。
    やっぱり、映画も自分の人生で経験したことを基に演出を考えるしかないと思うんですよね。

    この映画の表現も、どこかで監督さんが経験したことの延長線の上にあるのだと思いますよ。

    よくニュースで○人死亡とか流れていますけど、視聴者にとってはそれは数でしかありません。
    しかし、その家族や友人にとっては、かけがえのない人であり、それぞれのドラマがあるんですよね。
    そんなドラマを描いた映画なのでしょうね…。

    1. > 星鈴さん 
      コメントありがとうございます。

      残念ながら僕が知っているタオ監督は小中学校に一緒に部活をしたり遊んだりしていたときのタオ監督だったので、監督と知り合いというのもちょっとおこがましいように思います。

      タオ監督は中学校を卒業してすぐ映画の世界を目指していたように思います。自分が一緒に遊んだりしていた頃なんて、将来の夢なんて明確に持っていませんでしたが、彼は自分の夢を明確に持っていて、それを実現させようと強い意志と努力を積み上げて今に至ったのだと思いました。

      思い起こせば、自分がアニメや映画を好きなのは彼の影響も大きいのかなと思います。

      この映画は長編映画としては初の作品ですが、ここまで来るのに25年以上の時間がかかりました。

      きっとその中で、自信を失ったり、誰かと対立したり、様々なことに悩み苦しんできたんだろうと思います。

      おっしゃるとおりで、映画だけではなく、音楽でも文学でも何か表現をするときは、本人が意識せずとも自分が経験してきたことがなにかしら現れるのではないかと思います。

      クラシックなんかは楽譜があってそれを演奏するわけですが、同じ曲を何百人者演奏家が演奏し、CDなどを出しています。
      演奏者がこれまでどんな人生を歩んできたのかを知ると、ああ、なるほどと思うこともよくあります。

      いろいろ言うより、とにかく本当にこの映画がきっかけで彼と再会できたのはとても嬉しかったのですよ。まさに夢のような夕べでした。

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