幸せの代償とは 映画“MY HOUSE”

心の幸せ?即物的な幸せ?
どちらを選ぶにしてもその代償は高くつきます。
ホームレスの幸せ、エリートの幸せ、それぞれの幸せが崩壊していく様子が、美しい映像で印象的に描かれた映画です。

 

毎日早朝と深夜に4時間ずつ名古屋の街を自転車でまわり、空き缶やまだ使えそうな廃品を集める男がいます。

集めた空き缶は業者に1kgあたり90円程度で引き取ってもらい、1日8時間働いて月5万円程度。それが彼の収入です。

彼の名は鈴本といい、廃品を材料にした家を公園に建て、パートナーのスミちゃんや隣の家に住むホームレス仲間と暮らしています。

一方でエリート進学校に通う中学1年生の翔太やその母親の生活を対照的に描いています。

 

【写真的なモノクロ映像】

この映画で真っ先に映像の作りに惹かれました。全編モノクロの映像で描かれています。
概念的な言葉になってしまいますが、“モノクロの動画”というよりも“動くモノクロ写真”と言えると思います。
単にモノクロームであるというだけではなく、アングルや映像に切り取られた登場する人々の時間が、見応えのあるスチル写真のようだといえば何となくでも伝わるでしょうか?

 

【知っているようで知らないホームレスの暮らし】

そして、冒頭の鈴本(=いとうたかお)とスミちゃん(=石田えり)が家を組み立てていく様子にはビックリです。住宅メーカーの家のごとく、これまで集めた廃材で床や壁がユニット化されていて手際よく家が組み上がっていきます。さらに驚くべきは彼らの家には照明やテレビがあり、食事もきちんと煮炊きできます。これは廃品となった車のバッテリーやカセットコンロのガスボンベを利用したものです。

別のホームレスは無秩序に空き缶や残飯を奪っていくように描かれますが、鈴本はそれらを捨てる人々とうまく折り合いをつけ、自分のものにできるような仕組みを作っているようです。またそれで得た物やそれを与えてくれた人たちには感謝の念を持って頭を下げます。

鈴本たちホームレスをシェルターに住むようにすすめる市役所の職員は、鈴本が集めてくるものを“街の幸”と例えています。海の幸や山の幸という言葉は私たちにも馴染みの言葉ですが、それは自然界を敬い、感謝するという気持ちが込められている言葉だと思います。自然界から私たちの欲望を満たすためだけに一方的に搾取するというのでは、やがて滅んでしまうと思います。

 

【ホームレスならではの幸せとその代償】

鈴本はラブホテルの社長にホテルから出る空き缶をもらいたいと交渉します。ホテルの社長は自分が経営する全部のホテルからの空き缶を鈴本にやると約束しますが、倒産して路頭に迷ったら仲間にしてくれと条件をつけます。

そんなやり取りは私達にホームレスの実態を知らせ、彼らをどう捉えているかを再確認させます。社長も最初は気楽なものだなとあしらっていましたが、鈴本から話を聞くうちにそれなりに大変だとわかったようです。

社長は鈴本に自分のホテルで働かないか?と問いますが、鈴本は断ります。暮らしていくための仕事やそれを守るプライドなどに心が束縛されず、自分の生きたいように生きていくことが彼の幸せなのではないかと思います。

しかし、心の自由の代償として彼らの生活はリスクに晒されています。時には別のホームレスから集めてきたものを盗まれたり、時には彼らを人間として見ることのできない人の放火や暴力など生命の危機に脅かされることもあります。

仮に被害にあったとしても、身元は不明で違法な場所に住んでいることから、被害を訴えれば逆に彼らの生活を奪われる可能性もあり、自分の身は自分で守らなければならない厳しさもあります。

 

【強い束縛の反動で崩壊するエリート】

この映画にはもう一人主人公がいます。それはエリート進学校に通い、食事がわりに缶ジュースをがぶ飲みし、押し入れで内緒にカメを飼っている中学1年生の翔太です。

彼は医師の父親からは勉強以外のことはしてはいけないとかなり強い束縛を受けてきたように思います。そんな彼は学校や塾の行き帰りでホームレスの姿を見て衝撃を受けます。

ある朝押入れを開けると、翔太はカメが死んでいるのを発見し、カメの死体を部屋の窓から投げ捨てます。

翔太が内緒で買っているカメが死んでしまったことを友達に話すと、友達の何気ない言葉が突如彼の怒りの感情にスイッチを入れ、翔太は突如暴力的な少年に変貌します。

翔太だけでなく彼の友達も、勉強一本だけで生きてきて、その分心は未成熟なままで、ちょっとした事で吹き出してしまった感情をコントロールできず、感情にまかせた心ない暴力に走ってしまうのかと思うのです。

さらに、カメを死なしてしまったのが父親だと知った翔太の激情はより激しく噴き出していきます。

鈴本のパートナーのスミちゃんは、空き缶を潰している時に、翔太の激情からの暴力の連鎖で亡くなってしまいます。そこで翔太が見たものは自分が捨てたペプシの空き缶だということでますます心が乱れていきます。

 

また、翔太の母親(=木村多江)は病的に思えるほどの潔癖症です。

まるで何かから逃避するかのように、朝から晩まで家の掃除をし続け、ちょっと何かに触るとすぐに手を洗います。

白が基調となり、家のあちこちに洗剤や除菌剤などが並び、過剰なまでに整理が行き届いた家は、そんな彼女の潔癖症を表しているとともに、とても生活感の見えない無機質な空間に映ります。

また、人との接触を激しく避けていて、他人だけでなく家族とすらもまともに会話がありません。

そんな彼女は意外にも家の勝手口に鈴本に渡す空き缶を置いておくのです。もしかしたらそれが彼女にとって唯一外の世界とつながる空気穴だったのかもしれません。しかし、空き缶をホームレスに渡していることを夫に咎められ、その瞬間空気穴を塞がれた彼女の心の中で何かが大きく壊れたかのように見えました。

彼らは経済的・社会的な幸せを手にしていますが、その代償として心が激しく抑圧されてきたのかと感じています。

 

【最後に】

自分の家といえばMY HOMEと訳すことが多いですが、HOMEとは人が集まり心が安らぐという意味があるとのことです。

エリート家族の家も、スミちゃんのいなくなった鈴本の家も、HOMEから、ただ衣食住を営むだけのHOUSEに変わってしまったように思います。

ラストで鈴本は家を解体しようとしますが、途中で思い留まります。パートナーのいなくなった箱を捨ててしまおうという思いと、スミちゃんとの思い出のある場所を大事にしようという思いが彼の中では複雑に渦を巻いていたのでしょう。

 

2012年05月26日 T・ジョイ新潟万代にて鑑賞
おすすめ度:★★★★★

監督・企画・脚本協力: 堤幸彦
原作: 坂口恭平「TOKYO 0円ハウス 0円生活」(河出文庫)、「隅田川のエジソン」(幻冬舎文庫)
脚本: 佃典彦
出演:いとうたかお 石田えり 村田勘 木村多江
2011年 日本作品

リンク
“MY HOUSE”公式サイト
MY HOUSE@ぴあ映画生活

「幸せの代償とは 映画“MY HOUSE”」への3件のフィードバック

  1. 堤幸彦監督はエンタメ色の強い作品が多いですが、こんな映画も作れるのかと感心してしまいました。

    ご意見やご感想などお気軽にお寄せいただけると幸いです。

  2. ミナミの帝王で読んだ話だと、あいりん地区には元弁護士や元大学教授などもたくさんいるそうです。
    まあ、それぞれの人生の末にその道を歩むことを決意したのでしょうね。
    人の価値観はそれぞれですから、その人たちは束縛よりも自由を選んだのでしょうね。

    一方でエリート家族はエリート家族で苦しみがあり、人の幸せとは一体何かと考えさせられる作品ですよね。

    1. > 星鈴さん
       コメントありがとうございます。
       鈴本がホームレスとなる以前はどんなことをしていたのかこの映画では分かりませんが、かなり色々な工夫をして暮らしているので、それなりに成功していた人なのではないかと思います。
       仕事をしないかと言われた時に「無理です。というか嫌です」というところは印象的です。
       この映画の面白いところは、ホームレスの暮らしとエリートの暮らしがとある事件で、交錯し、それぞれ壊れてしまうところでもあります。
       何が幸せなのかは本当に人それぞれですが、それが壊れたときのショックは本当に痛々しいですね。

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