映画「阿賀に生きる」(DVD)

“阿賀野川とともに暮らしてきた人々の飾らない日常とスタッフの成長に感動”

福島県から新潟県を流れ日本海へ注ぐ阿賀野川。一時期は新潟水俣病のイメージが強く死の川とまでいわれていたということです。

山間の鹿瀬(かのせ)町(現阿賀町)で谷間で田んぼ仕事をする長谷川芳男・ミヤエさん夫婦、安田町(現阿賀野市)に住む元船大工の遠藤武さん、餅つき名人の加藤作二さんとその妻キソさん、川舟の先頭の帆苅周弥さんや彼が会長を務める新型水俣病被害者の会の人々など、阿賀野川のほとりで暮らす人々暮らしぶりを描いた作品です。

この映画は何度か観ていますが、こうした映画についてのブログを書くようになってから観たのは初めてです。残念ながら今回は映画館ではなくDVDでの鑑賞となりました。どんなきっかけでこのDVDを観ることになったのかは後ほど書きたいと思います。

この映画に登場する方々は皆さんかなりのご年配でいらっしゃるとともに、新潟水俣病の未認定患者です。

長谷川さんの田んぼは急斜面の途中にある小さなところばかりです。山間の田んぼというのはトラクターや稲刈り機などの機械を入れるのもままならないところで、ほとんどが手作業になります。灌漑も整備されていないため、膝の上まで泥に潜っての作業は体力のある若者でもかなりの重労働です。

この地から離れて暮らす子どもたちからも、そろそろやめたらと言われますが、長谷川さんは“それが俺の楽しみ”だと次の季節も田を耕すのです。ここで生まれてここで死んでいくのが人生なんだというのが根っこにあるのでしょうね。

舟大工の遠藤さんは、16歳のときに親方に弟子入りし、その後200艘以上の木造船を作って来ました。遠藤さんの家にはそのご祝儀袋が壁一面に貼られていて、誰かが訪ねてくると話しはいつの間にか舟の話しになってしまいます。しかし、遠藤さんは老いと病いから舟づくりをやめてしまいまいました。

佐藤監督たちからのせめて舟づくりの道具だけでも見せて欲しいという頼みをきいて、遠藤さんは仕事場を見せます。錆びた道具を手にする遠藤さんは、職人らしい厳しい顔つきになり、華やかだった現役時代の思い出や、もう舟を作れなくなったことへの寂しさなどの思いが詰まった複雑な表情をしていたのが印象的です。

餅つき名人の加藤さんのつく餅はキメが細かくコシがあるということで近所の皆様からも評判で、今でも年末になると頼まれて餅をつくそうです。この映画の撮影の日は17臼(34升)の餅をついたとのことで、歳はとってもさすが職人だなと思います。

船頭の帆苅さんは、阿賀野川の川筋を吹く風にはいろいろな種類があり、船頭のしごとは風のことをよく知って先読みすることであると語ります。

映画の中では帆苅さんが会長を務める未認定患者の会の皆さんの裁判への活動の場面が盛り込まれています。

新潟水俣病の原因となったメチル水銀を阿賀野川に垂れ流していたのが、鹿瀬町にある昭和電工鹿瀬工場でした。

当時の鹿瀬町の経済は昭和電工を中心に回っていたといってよいでしょう。

労働者の立場から水銀垂れ流しの実態を証言した江花豊栄さんの話の中では、鹿瀬町の人々の中には昭和電工と対立するのはタブーとする空気があったそうです。江花さんが国や昭和電工を裁判に訴えようとすると、理不尽な転勤を命じられたりしたということです。鹿瀬町から実際に原告となったのは江花さんと長谷川さんだけということでした。

このあたりは企業や組織が働く人々につきつける圧力や、また今日では原発の恩恵を受けてきた人々がその事故の被害者となってしまっていることの理不尽さを物語っていると思います。

新潟水俣病がたくさんの人々につらい思いをさせたことは事実ですし、それは償われなければいけないことだと思っています。でも裏返して見れば患者の皆さんの暮らしはそれだけ阿賀野川と密接だったのだと強く思います。

この映画のクライマックスは、長谷川さんがもういちどカギでサケを獲りたいという思いを実現するところと、遠藤さんが関塚喜平さんに舟づくりを教えるところです。

取材を重ねるうちに、もう一度カギ流し漁でサケを獲りたいと話すようになりました。近くの漁協の人々の協力を得てカギを川に沈める長谷川さんの姿は一気に若返ったように見えます。(カギ流し漁とは、竹の棒の先に大きなカギ針を糸で結び、それを川に沈め泳いでいるサケが触れたら一気に引き上げて捕まえるという漁法です)

川漁師の井上平一さんは5年以上遠藤さんに舟を作って欲しいと頼み続けてきたそうです。また、井上さんが関塚さんとともに頼みに行ってもガンとして断っていたとのことで、井上さんと関塚さんは既存の舟を解体してそれを調べて手探りで舟を作ろうと試行錯誤していたそうです。そこに突如遠藤さんが舟づくりを教えてもいいと言ってきたそうです。

関塚さんと遠藤さんが舟を完成させ、その祝賀会での井上さんと遠藤さんのやりとりは感動です。阿賀野川を空気や水のようによく知っているからこそ、遠藤さんの舟は井上さんに日本一だと言われるのだと思います。

この映画を制作するにあたって、佐藤真監督を含む7人のスタッフは三川村の阿賀野川のほとりの家を借りてそこに暮らしながら3年間かけて取材・撮影を行ったとのことです。

映画の中では撮影中の彼らの声がときどき聞こえてきたり、カメラを向けられた人々が彼らに話しかけてきます。

この映画の素晴らしいところは、強大な力を持った企業のエゴで豊かな暮らしを壊されてしまった人々の日常を描いているというだけではなく、スタッフが阿賀の人々と交流を通じて彼ら自身が成長していく様子が散りばめられていたり、その交流がきっかけで長谷川さんや遠藤さんたちが時代の流れで遠ざかっていた阿賀野川との接点をもう一度取り戻そうとするところなんだと思うのです。

また、ところどころに挟み込まれる四季折々に様々な表情をみせる阿賀野川の美しい風景も印象的です。

僕自身、冬から春先にかけての天気がよく風のない穏やかな日に、阿賀野川左岸の堤防上の道路を下流から上流に向かって車を走らせる時の眺めはとても好きな阿賀野川の一つです。

企業が営利を追求するあまり人々の平穏な日常を壊してしまうことを批判するドキュメンタリーに終わらず、その前提にある川と密接な暮らしを描き、取材対象と作り手の交流、作り手である若者たちも成長していく様子があるからこそ、この映画は観ているうちに惹きつけられ、長い年月愛される作品となっているのではないかと思います。

 

さて、なぜ今この映画のことをブログに書こうとDVDを観たのかを書きます。

この映画は1992年に公開となりすでに20年が経過しています。オリジナルのネガからプリントを起こす技術者も時代の流れでいなくなりつつあるとともに、そのフィルムを保管している倉庫も閉めてしまうとのことです。

現存のフィルムは度重なる上映と年月による劣化で傷んでしまっていて、ニュープリントを起こすとしたら、最後のチャンスではないかということです。また、それとあわせて近年普及しているデジタル上映に対応するためのデジタル化も行うとのことです。

この映画に登場した方々の中にはすでに亡くなられた方もいらっしゃいます。彼らの飾らない阿賀野川とともにあった日常という時代の一コマを切り取った文化遺産をを末永く残すことは意義のあることですが、いかんせんお金がかかってしまいます。

その資金をなんとか工面しようと、阿賀に生きる製作委員会の人々らが呼びかけ人となり募金を募る活動を近々開始するそうです。

僕も微力ながらこの活動の賛同人に加えていただきました。詳細が決まったらあらためてこのブログでも紹介させていただこうと思っています。

それにはもう一度この映画をじっくり観て自分なりに思うことをまとめておく必要があると思い、DVDですがあらためて観てみた次第です。

クリアに生まれ変わったこの映画を劇場のスクリーンで観れる日が楽しみです。

また、この映画のスチル写真を担当した村井勇氏がこの映画の制作記録を本にした“焼いたサカナも泳ぎだす”や、この映画の完成から10年後に佐藤監督が制作した“阿賀の記憶”についても追っかけレビューしていきますのでお楽しみに。

2012年04年14日 自宅にてDVDで鑑賞
★★★★★4.5

阿賀に生きる(DVD)
製作:阿賀に生きる製作委員会
監督:佐藤真
撮影:小林 茂
録音:鈴木彰二
撮影助手:山崎 修
録音助手:石田芳英
助監督:熊倉克久
スチール:村井 勇
音楽:経麻朗
整音:久保田幸雄
録音協力:菊池信之
ナレーター:鈴木彰二
題字:小山一則
ネガ編集:高橋辰雄
1992年 日本作品

 

リンク

象のロケット

阿賀に生きる@ぴあ映画生活

「映画「阿賀に生きる」(DVD)」への12件のフィードバック

  1. 情報提供ですが、6月3日(日)、長岡市立図書館にて、13:30から上映されます。
    ちなみに、10:00から「掘るまいか」15:45から「阿賀の記憶」も上映されます。
    入場料無料、申し込み不要、先着180人、です。これまでの経験では、いっぱいで入れないということはなかったのですが・・・・・?

    1. >佐藤さん

      情報ありがとうございます。
      撮影の小林茂さんは長岡市にお住まいだと聞いたことがあります。
      長岡にゆかりの作品でもあるので、多くの方にご覧いただけると良いですね。

  2. 人それぞれの人生を描いた素晴らしい作品なのですね…。
    まあ、確かに企業がその地域を活性化させることは現実です。
    そして、かつては公害の知識もなく、被害が発生してからその害を知ったということもあります。
    しかし、いちばんの問題は、被害を知った後の対処です。

    多くの企業が、そして国が、自治体がその損害を認めようとせず、認めても出来るだけ過少にしか認めようとしないことだと思います。
    もし、自分がその立場だとどう思うか、それすら想像できないんですよね。
    私は憲法を勉強して、憲法の理念は素晴らしいけれど、それを運用する側にはその理想はないのではないかというくらい恣意的な解釈をした判決に絶望しました。
    きっと、水俣病の患者さんたちの多くがそう思っているのではないかと思います。

    そんな中でも精一杯生きていらっしゃる被害者さんたちには頭が下がる思いえすし、二度とこんなことを繰り返すべきではないと思っています。

    1. >星鈴さん

       コメントありがとうございます。

       阿賀野川はこの映画に登場する人々の暮らしだっと言ってもよいでしょう。かつて川岸に流れ着いた流木を薪にし、そこで捕れた魚を食べて暮らしていたと聞いたことがあります。。
       川と暮らしのつながりが密接だったゆえに、何も知らないまま被害を受け、そうした日常が壊されてしまうというのは怖いことです。

       新潟水俣病は熊本の水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病という日本4大公害病の一つで、これらの病気が企業活動によるものとわかるまでに長い年月がかかりました。公害に対する企業や国、自治体の責任の所在を明らかにする公害対策基本法が成立したのもこれらの病気と企業活動の関係が明らかになってからのことです。
       
       新潟水俣病が公害病と認められ、患者認定された人々ですら、金欲しさに認定の申請をしたなどと糾弾され集落内で摩擦を生むようなこともあったと聞いたことがあります。ましてや未認定患者が訴えようとなればそうした偏見もより強くなったのではないかと想像しています。

       未認定患者の方々が昭和電工と国に賠償を求める裁判は、毎月1回裁判所に弁論のために足を運ぶなどの苦労を強いることになりましたし、彼らが妥協できる判決が出るまでにはとても長い時間がかかりました。
       原告の方々は高齢の方が多く、実際にこの映画の撮影中に亡くなられた方もいらっしゃいましたし、映画完成後に亡くなられた方も多いと聞いています。
       そんな様子を見ていると、国や企業の姿勢や裁判の進め方は、時間を稼ぐだけ稼いで原告の人たちが亡くなるのを待って、賠償の負担を軽くしようと意図的にやっているのではないかと感じてしまうくらいです。

       病に体を蝕まれながら、なかなか進まない裁判に耐えながらも、生き生きと暮らしていた方々の強さには本当に頭が下がりますし、それだから飾り気のない暮らしぶりが私たちの心に響くのでしょうね。

       企業活動や社会活動が人の命を脅かすことは絶対にあっては行けませんし、仮にあったとしても被害者には迅速で手厚い手当ができるように社会のルールを変えて行って欲しいと思っています。

  3. ピンバック: 象のロケット
  4. ピンバック: Kozmic Blues by TM

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