マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙

“闘いのトラウマと亡き夫の幻に翻弄される老女の物語”

一人の老女がストアで牛乳を買い求めようとしています。彼女が会計をしようとしたところ、携帯電話で話しながら老女のことは目に入っていないかのように割り込んでくるビジネスマンに目を丸くします。彼女が会計を済ませると次にレジにやってきたのは乱れた言葉遣いと態度で買い物をしていく若者でした。

自宅に帰った彼女は、夫にトーストにバターのつけすぎだとか牛乳が高くなったと話しながら朝食を摂ります。

そこにスーツ姿の女性がダンボールに詰た本を持ってきて、彼女に本にサインをしてもらうように頼むのです。彼女は万年筆で本に一冊ずつサインをしていきますが、一冊に誤って旧姓のRobertsとサインをしてしまいます。

彼女はそのサインをしばし眺めながら若かかりし頃を思い浮かべ、我に返りそのページを破ります。そしてその本の題名にはMargaret Thatcherと記されていたのでした。

そう、その老女こそが1979年に欧米で初めての女性首相となったマーガレット・サッチャー氏(Margaret Hilda Thatcher、1925年10月13日 -)なのです。

認知症を患っているマーガレットは、日常のちょっとしたことをきっかけに、食料品屋の娘として家業を手伝いながらのオクスフォード大学への合格、夫となるデニスとの出会い、政界への進出、首相になってから引退するまでのことがフラッシュバックしたり、先に亡くなった夫のデニスの幻覚と会話を交わすこともあるのです。

この物語の主人公は、首相時代のマーガレットではなく、引退し年老いて認知症を患っているマーガレットだと自分は思っています。

冒頭のストアのシーンでは、単に牛乳を買うという極めて日常的な場面なのに、すでに時の人ではなくなってしまったことをうまく表しているように感じました。

また、若かりし彼女のもとにオクスフォード大学の合格通知が届いた時に、父親は大喜びでしたが、母親は洗い物の最中で手が濡れてるからと言い訳し通知を見ようともしません。このワンシーンが“女性はこうあるべきだ”という当時の慣習や、マーガレットがこれから生きていこうとしている男社会は女性にとって厳しいことを暗示しているかのように思います。

マーガレットは1979年から1990年の10年以上首相を務め、弱体化する経済の回復、フォークランド紛争での勝利、東西冷戦終結への貢献などの功績を残しています。

彼女は男社会でなおかつ多くの議員が政治家の家の出身が多い政治の世界で、女性であることや庶民の出であることへの侮蔑に耐えながら、首相にまで成り上がります。

“人間は何を感じるかではなく、何を考えるかが重要であり、面白いのだ”とマーガレットは語ります。彼女は感性や周りの環境に流されるのではなく、自らの思考で行動し、決断を下してきたのです。これは並大抵の志では成し得なかったと思いますし、家族と一緒にいるというようなありふれた幸福を犠牲にしたうえにこれらが成り立っているのでしょう。

しかし、時が経ちマーガレットと同じ政党の議員たちは、彼女の他人の主張と折り合いをつけようとしない態度を受け入れることができなくなり、彼女から徐々に離れて行き、やがて彼女は政界から引退することを決めます。

「皿を洗って一生を終える女ではない」と野心たっぷりのマーガレットにデニスは惚れて結婚します。デニスはマーガレットが議員に当選してからずっと彼女を側で支えてくれていましたが、先に他界してしまいます。そんなデニスの愛情が大きかったからこそ、認知症になり彼の死を自覚することができず、あたかも彼がそばにいるかのような不可解な行動をとってしまうのでしょうね。

確かにマーガレットの歩んできた人生は彼女自身の努力や意志の強さで、特別なものであったかもしれません。でも考えてみれば、誰にでも仕事や子育てや家事に追われた日々が終息し、連れ合いに先立たれ、残された者は喪失感を抱えながら老いていく日々というのは訪れるのではないかと思います。

この映画はマーガレットの強烈な人物像を描いていると同時に、誰にでも訪れる老いやそれにともなう喪失感のようなものを根っこに描いていると自分は感じました。マーガレット・サッチャーという女性の半生を時系列に描いていくと言うよりも、年老いたマーガレットの中に、若かりし日や現役時代がフラッシュバックし、夫の幻と会話するというストーリーは良くできていると思います。

メリル・ストリープの年老いて弱々しくなったマーガレット、現役時代の強い意志と旺盛な野心抱いた輝かしいマーガレットの演技は素晴らしい。時に偽物が本物以上に本物に見えるという言葉がありますが、まさにそんな感じです。

どこかで聞いたジョークですが、”演技力だけでアカデミー賞の主演女優賞が決まるなら、毎年メリル・ストリープが受賞するに決まってるわ”というのも納得です。

とかくメリル・ストリープの受賞にばかり話題が行きますが、夫のデニスを演じたジム・ブロードベント、若き日のマーガレットを演じたアレキサンドラ・ローチ、娘のキャロルを演じるオリヴィア・コールマンなどなど、彼女の脇を固める人々も演技が素晴らしいですし、ファッションやメイクもなかなかの見所なのではないかと思います。

 

2012年03月25日 ユナイテッド・シネマ新潟にて鑑賞
おすすめ度:★★★★☆
デニス役のジム・ブロードベントのおどけた感じもなかなか良いです。

原題:The Iron Lady
監督:フィリダ・ロイド
脚本:アビ・モーガン
衣装デザイン:コンソラータ・ボイル
ヘア&メイクデザイン:マレーズ・ランガン
音楽 :トーマス・ニューマン
2011年 イギリス作品

リンク
“マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙”公式サイト
マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙@ぴあ映画生活

象のロケット

「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」への63件のフィードバック

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    1. >別冊編集人さん
      こちらこそ、コメントありがとうございます。
      また機会がありましたらTBさせていただければ幸いです。
      今後ともよろしくお願いいたします。

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