「最後の忠臣蔵」武士の忠義と不実の恋物語

今日は天皇誕生日でお休み。ということで先週末公開になった「最後の忠臣蔵」を観てきました。

 

この物語は、大石内蔵助ら赤穂藩士が、主君の吉良上野助の仇討のため浅野内匠頭を襲撃し、その後全員切腹するという「忠臣蔵」のその後の話という設定になっています。

討ち入りの前の日に大石内蔵助から命じられて、京都にいる愛人とその娘(可音(桜庭みなみ))を守って欲しいと用人の瀬尾孫左衛門(役所広司)に命じる。

また、討ち入りに参加した寺坂吉右衛門(佐藤浩市)は、討ち入り後に大石から生きてこれから切腹する藩士の家族を訪ねて討ち入りの様子を伝え、貧窮のため悪事に走ったりしないように経済的援助をするようにと命じられる。

この映画は、命惜しさに討ち入りに加わらなかった孫左衛門と名誉の死を許されず生き残った二人の物語です。

孫左衛門は可音が嫁ぐまで、大石の隠し子であることは自分の身内や赤穂藩の関係者にすら言わないように大石から言われているため、自分は商人という姿で過ごし、可音の世話に協力をしてくれた元島原の太夫であったゆう(安田成美)にすらそのことを隠し続けていました。

やがて可音は成長し16歳になりそろそろ嫁ぐにはいい年頃となりましたが、彼女は孫左衛門に恋心を抱きます。主従の間の不実の恋を孫左衛門は受け入れることができずにいました。

そして、孫左衛門は吉右衛門とであってしまいました。吉右衛門はなぜ討ち入りの前日に姿を消したのかと孫左衛門を問い詰め、二人は斬り合いにまでなってしまいます。

やがて可音が大石の隠し子であるというのは大石の従兄弟から見透かされてしまったようで、二人が生きてきたのは大石の命だということを理解し合い、かつての友情を取り戻します。

大石ら討ち入りで切腹した赤穂藩士の17回忌の法要の日、可音は嫁ぎます。嫁入り行列に同行する孫左衛門のもとに吉右衛門をはじめ多くの赤穂藩士が途中から加わってきます。これによって二人が生き延びたということが許されたのだと思います。

可音が嫁いだことにより自分の使命は終わったと悟った孫左衛門は祝言の席につかず隠れ家の仏壇でそのことを大石に報告していました。その最中にゆうの屋敷に招かれ、ゆうから16年待っていた。これから一緒に生きてほしいと告白されます。

ゆうと孫左衛門が会話するシーンでは、男の生き方、女の生き方の価値観の違いがよく描かれているように思います。

大石の命は果たし、卑怯者というレッテルも払拭され、ハッピーエンドになったっていいじゃないかと思いました。

でも、孫左衛門はゆうと生きることよりも自らの死を選び、ゆうの屋敷から帰った夜に隠れ家の仏壇の前で腹を切って自決しました。

彼は何を思って自決をしたのかを想像するととても複雑です。可音に恋心を抱かせてしまったことを大石に申し訳なく思っているのか、この16年の辛さから解放され自分の存在がわからなくなってしまったのか、討ち入りで死んでいった大石や藩士たちへの償いなのか、武士と大石のそばにつかえるには輪廻の世界に行かなければならなかったのか、どれも当てはまるような気もするし、どれも当てはまらないような気もします。

映画は途中近松門左衛門の曽根崎心中の人形浄瑠璃の場面がいくつか挟み込まれますが、これが許されない恋、不実の恋、孫左衛門の死をイメージさせるのに効果的に使われています。

孫左衛門の枯れた役柄を演じる役所広司の演技はとてもよかったですし、またゆう役の安田成美、吉右衛門役の佐藤浩市も好演でした。

この物語の舞台は京都ですが、孫左衛門が過ごす苔むした隠れ家は京都の里山の竹林やすすきの野原の様子はなかなか趣きがあります。

加古隆の音楽も死より重いものを背負って生きていく孫左衛門や吉右衛門の心情をよく表していると感じました。

この映画はワーナー・ブラザーズが配給で制作総指揮はアメリカ人が担当しています。可音の孫左衛門のストイックな恋心、孫左衛門の忠義、死ぬよりも生きることの辛さとなどの精神世界が評価されたのではないかと思います。

それにしても劇場は7~8人しか入っていませんでしたが、入れ歯の臭いや加齢臭が強烈で我慢しながら最後まで観るのが大変でした。

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