映画“樺太1945年夏 氷雪の門”

戦後65年となりますが、その戦争で起こったことについて私たちが知らないことが本当にたくさんあります。

恥ずかしながらこの舞台となる樺太については、戦時中まで日本の領土だったが、戦後ソ連領となったくらいしか知りませんでした。

終戦間際の8月9日に「日ソ不可侵条約」が破られソ連が日本に宣戦布告して満州が大混乱になったということは「ラストエンペラー」などで知っていましたが、樺太でもそのようなことが起きていたという認識は全くありませんでした。

この映画「1945年夏 氷雪の門」は戦争当時樺太の真岡という町の郵便局で電話交換手として働く女性たちの最後の数日を描いた作品ですが、1974年に当時としては破格の制作費をかけ制作されましたが、公開当時ソ連大使館の抗議によって上映が中止になった闇に葬られたフィルムです。このフィルムが2004年に発見され、当時助監督をしていた新城卓氏がこの史実を伝え世界平和を訴えたいという思いから、フィルムをデジタル化し各地で上映が始まりました。

「樺太1945年夏 氷雪の門」

8月9日にソ連軍の侵攻が始まり、8月14日にポツダム宣言を受託し、8月15日に玉音放送が流され日本は降伏しました。しかしながら、ソ連軍は樺太全土を制圧せよという指令に基づき、8月15日以降も樺太各地に侵攻します。

日本軍は戦闘の即時中止をソ連軍に求めましたが、「敗戦国に国際法なんかあるか」と戦闘中止を拒否し侵攻を続けます。

8月15日以降もソ連の侵攻がつづいていたということもこの映画で初めて知ったことでした。

前半はまだ侵攻が始まる直前で樺太は平和な感じで、映画としての展開や映像の作りがのんびりして間延びしているよに感じていましたが、侵攻が始まり樺太各地の町が制圧され、逃げ惑う人々の様子、逼迫してきている状況を真っ先に受け取り各地に伝えなければいけない電話交換嬢たちの緊張が高まってくる様子には引き込まれてしまいました。

とうとう真岡の町にも成人男子を残して、婦女子、老人、子どもは日本本土へ疎開するようにと通達がなされましたが、こんな状況で樺太全体を混乱させないために自分たちは交換台を離れるわけにはいかないと、9人の女子が局に残りました。それにしても武器も何も無い民間人を残してどう戦うのかとても疑問に思いました。

そして8月20日に真岡の町はソ連の艦砲射撃を受けるとともに、上陸部隊の侵攻にがはじまります。軍人だけではなく民間人もソ連兵にみつかれば即銃殺されるという状況でした。

郵便局の前の通りではソ連兵が銃で残った人を殺しながら行き来する状況で残った回線は一本となり、「みなさん、これが最後です。さようなら」という言葉を残し、青酸カリで自決をします。

この映画では電話交換嬢の家族は残ることに反対し娘に手を上げてでも「生きて欲しい」と説得しますが、彼女たちは職務を選びます。でもそんな彼女たちもやはり「生きたかった」という思いを残しながらの自決です。自分では思い量れないほどの無念さだったと思います。

この映画を一歩引いて疑問をもちました。それは、日本はなぜもっと早く戦争を終結しなかったのか、外交政策がいかにずさんであったかということです。

前にも何度も書いていますが歴史上の出来事が検証される(もしくは様々な権力関係で検証できる)ようになるまでは60年の歳月がかかると聞いたことがあります。

当時自分の意思にかかわらず、運命を翻弄され多くの人が命を落としていったことはまだまだ知らないことがたくさんあると思います。

これらが徐々に紐解かれて今の社会、これからの社会を考える材料となってくれるといいと思います。

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