映画“BOX 袴田事件 命とは”

裁判員制度の導入

足利事件で死刑判決を受けた菅家さんの再審、無罪判決

死刑執行の頻度の拡大

郵便不正事件における検察の証拠捏造やそれに対する検察官の逮捕など

司法のあり方があらためて問われていると感じています。

そんな中で土曜日に「BOX 袴田事件 命とは」を観てきました。

この映画は1966年に起こった袴田事件を基に作られた映画です。(袴田事件についてはWikipediaなど参照してください。)

この裁判の主任判事だった熊本さんは警察や検察の取調べのあり方や供述内容、物証の乏しさなどから袴田さんの無罪を確信しますが、裁判は難航し、結局は裁判官の多数決で被告であった袴田さんの死刑判決が決定しました。慣例で死刑の判決文を書かざるを得なかった熊本さんはこの裁判の後裁判官をやめ袴田さんの無罪を実証しようと動き始めます。

この映画を観て

・風評や噂話で被疑者を特定しようとする事件捜査

・自白をするように心理的に追い込むような取調べ

・警察や検察は「裁判の時に違うといえばいいんだから、今はこう言え」と自分たちの描いたストーリーに合うような供述を強要する取調べ

・法的な正義よりも出世や学閥にとらわれ過ぎるあまり、有罪判決=出世であるかのような裁判官や法曹界

の姿に絶望というか恐怖を感じました。

この映画を観るまでは、自分は悪質な事件や社会的影響の大きい事件の容疑者が逮捕されたり裁判で有罪になったなどというニュースを見ると「それだけのことをやったのだから、当然の報いだ。刑は軽すぎるんじゃないか。ざまあみろ」など安易に思ってしまいがちでした。

しかしこの映画を観てからは有罪でよかったねと単純に思うことはとても危険なことなのではないかと思いました。

この映画で熊本さんが「人を裁くことは同時に自分も裁かれることではないか?」「誤って無実の人を有罪にしてしまい命まで奪うことになったら、自分たちはその刑よりも重いものを背負わなければいけないのではないか?」と他の裁判官に訴えます。

裁判員制度の導入で自分が人を裁くことになる可能性はないわけではありません。そんなとき社会的感情に流されて誤って無実の人を有罪としてしまうことも起こりうると思います。人が人を裁くことの重さは他人事ではないことをこの映画は訴えます。

死刑確定後も未だ袴田さんはこの事件はえん罪であることを主張し再審請求が続けられています。再審請求がなかなか認められないことや請求を認めるかどうかの審査にとても時間がかかることはとても問題に思います。仮に再審が行われ袴田さんが無罪となっても、40年以上の時間は戻ってこないし、精神的な苦痛が無くなるというものではないのです。客観性のかける裁判がもっとスピーディーにやり直しのできるように司法のあり方も変わって欲しいと思います。

テーマや内容はとても重いものを扱っていますが、映像の作りや演出がよく出来ていて、熊本さんや袴田さんの苦しみがよく描かれていると思います。また、熊本さん役の萩原聖人や袴田さん役の新井浩文の演技もなかなかのものでした。

機会があれば是非多くの方にこの映画をみていただいて、人が人を裁くことの重さを感じていただけると良いと思います。

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